2012年4月6日金曜日

ヤマイヌ・「犬神、戌神、犬神人」


犬神 イヌガミ 「大神・おおかみ」とまったくよく似た「犬神・いぬがみ」は、神使いを自称する狼にとって大きな汚点です。その意味するところは「神」という名に相応しくありません。
犬神は歴史も古く、江戸時代、1675年刊の本にすでに「犬神」がいます。
田舎にある犬神と云事は、其人先代に犬を生ながら土中に埋て咒を誦してをけば、其人子孫まで人をにくきと思ふと、その犬の念その人につき煩ふなり。それをしりてわび言をして犬を祭れば忽愈。くちなはも右のごとくにす、とうしんといふ。田舎西国辺にては今もある事なり。(下之二)(P.118)
「遠碧軒記」黒川道祐著『日本随筆大成一期10』(吉川弘文刊1975) 「犬神」は生きた犬を土の中に埋めて呪いを修すると出来上がりで、「犬神使い」から憎まれると子孫にまで災いが及び、お詫びをすれば忽(たちま)ち愈り、また蛇(くちなわ)が成った「とうしん」も「犬神」の仲間、というような意味でしょうか。
西国のどのあたりで盛んだったのか、橘南谿(1753−1805)がかなり詳しく述べています。
日本西国辺に犬神といふ事ありて、民間に是を行ふて人を害する事多し。周防の上の関、伊豫の大津、薩摩の桜島等最多し。・・・又四国辺境には蛇神といふ事ありぞ。是も犬神に類せし事といふ。(P.253、254)
「黄華堂医話」橘南谿著『続日本随筆大成10』(吉川弘文館1980) 「犬神」は九州、山陽をはじめ四国にその伝承があり、橘南谿も「蛇神」、つまり「とうしん」を犬神の仲間とみています。「犬神」には「蛇神」以外にまだまだ多くの仲間がいたようで、小松和彦氏は、かつて十二支の動物がいたが、今は犬神を含め三種類の動物だけが生き残っていると考えています。 いざなぎ大神の笈の中に外法が十二匹いた。これは古代陰陽師が「式神」を十二神将と考えたように、ここにも「十二」の数の重視が見られ、おそらくかつてのいざなぎ流では十二支の動物を想定していたのであろう。だが、実際に浸透しているのは、犬神(これが圧倒的に多い)、猿神、長縄である。(P.379)
「いざなぎの祭文と山の神の祭文」小松和彦著『山岳宗教史研究叢書15』(名著出版1981) 生き残ったのは、犬と猿と長縄(ながなわ)の三種です。
ここに書かれている「いざなぎ流」とは、高知県香美郡物部(ものべ)村に伝わる民俗宗教のことで、「犬神作り」の呪法は、もともと式神を使役する陰陽道に由来する「いざなぎ流」が伝えてきたとされています。また、この物部村はかつて熊野社の荘園でしたから熊野修験との関係もふかく、この地方には熊野権現も数多く祀られています。
高知県の熊野権現は吉野川上流の長岡郡と物部川上流の香美郡に数多く分布している。なお香美郡は中世期の熊野社領大忍(おおさと)村にあたる・・・(P.
で作られているもの、皮膚
251)
「熊野修験」 「いざなぎ流」は、熊野修験道との係りのほうが色濃いのかもしれません。
「犬神」のつくり方には、先に挙げた土中に埋めた飢餓状態の犬の首を落とすというやり方のほかに、少しばかり流儀の異なるものもあって、それによれば多くの獰猛な犬を集めて噛み合せ、唯一生き残った犬の首を切るというやり方が正統とされます。犬神使いは、このようにして切り落とした犬の頭を箱に入れてたりして祈祷をしていたのです。
ただし、一般に言い伝えられている犬神には四肢もあり尻尾もあります。「犬神」の形や大きさについては、丸々太ったかわいらしい小犬という話がある一方で、「頭はカマキリのようで、色は灰色、斜めから見ると金色、総長一尺一寸」という鉛筆のように細いイタチ姿が描かれた絵図や、鼠 そっくりに描かれたものもあります。1666年開板「伽婢子」掲載の「犬神(狗神)」は、形は似たようなものですが、大きさはぐっと小さくなって、米粒です。
大きさ米粒程の狗也。白黒あり、斑の色々あり。死する人の身を離れて、家を継ぐ人の懐に飛び入ると云へり。(P.359)「伽婢子」『江戸怪談集・中』(岩波文庫1989) この小さな犬神は人そのものだけでなく家にも憑き、「犬神憑きの筋」の家では娘が15歳になると母親から75匹の「犬神」を伝えられ「犬神使い」になります。犬神使いが、誰かの持ち物を見てそれを欲しいと感じただけで、犬神たちは勝手にその持ち主に憑いて病気にしてしまいます。病気を治したければ、犬神使いに持ち物を与えればよいのです。また「犬神」にはその起源譚が付いています。 中国あたりから怪しい獣が大空を飛んで来るのを、武士が弓に矢をつがえて三段に射切ると、その怪獣は首は犬の如くであったのが、阿波に落ちて犬神となり、胴は猿の如くであったのが、讃岐に落ちて猿神となり、尾は蛇の如くであったが、備前に落ちてスイカズラとなった・・・(P.56)「日本の憑きもの」石塚尊俊著(未来社1972) この起源譚にちなんだものか、犬神をスイカズラと呼ぶ地方もあるようです。もうひとつの説では、弘法大師からもらった「開けてはならぬ猪除けの御札」を開けてしまったら、そこに書いてあった犬の絵が外に飛び出て「犬神」になったというもので、これには「イノシシ除け」でなく「狼除けの御札」という話もあります。
この「犬神」について乙益重隆氏は、木の芽立ちのころの農繁期の重労働が続く時期によく見られる現象だった点から、明らかにノイローゼなどの精神疾患であろうと判断しています。最初に挙げた「遠碧軒記」よりさらに早い1670年刊の「醍醐随筆」に述べられた犬神に対する見方はたいへん論理的で、現代医学なみです。
四国あたりに犬神といふ事有。犬神をもちたる人たれにてもにくしと思へば、件の犬神たちまちつきて身心悩乱して病をうけ、もしは死するといふ。いかなる道理と思えば・・・(P.
どのような植物はクモを撃退?
39、40)
「醍醐随筆・下」中山三柳著『続日本随筆大成10』(吉川弘文刊1975) このあと、犬神を信じる人は病気になれば犬神に憑かれたと思い、周りもそれを疑い、山伏や巫覡のたぐいがやってきて託宣し無理やり犬神憑きにしてしまうからだ、と書いています。早くからこのような分析がされていたにもかかわらず、第二次世界大戦直後のころまで「犬神」の迷信は根強く残ってしまいました。 キツネ憑き 憑くのはキツネじゃない? 「犬神憑き」の話は聞けば聞くほど「キツネ憑き」によく似ていますが、ひょっとするとその起源は同じものかもしれません。「渓嵐拾葉集」に元徳三年(1332)の日付で、「狐病」について書いてある段があり、「稲荷大明神事」「狐病治事」に続いて次のような項目があります。 付狐神法事 
示云。此病ハ邊土ニ多ナリ。或ハ狐頭ヲ本尊ニ入ル。或ハ木造ノ狐ヲ本尊ニスル也。
(P.732)「渓嵐拾葉集」巻第六十九
『大正新脩大蔵経第七十六巻』(大正新脩大蔵経刊行会1931) 「狐病」はキツネの頭を「狐神」として祭ることによって操ることができるようですが、祭る動物はキツネの頭に限りません。これにはまだ続きがあります。 天狐病本尊事 或師語云。
百里國ニハ辰狐頭ヲ以テ本尊ト為ス。百里ニ足ラズ國ニ、或ハ白犬頭、或ハ狸頭ナリ。仍ッテ四國ハ百里ニ足ラズ故、犬頭或ハ狸頭ヲ本尊ト為スナリ。
(P.732)「渓嵐拾葉集」『大正新脩大蔵経第七十六巻』(大正新脩大蔵経刊行会1931)
キツネの頭の「狐神」だけでなく、イヌの頭の「犬神」やタヌキの頭の「狸神」も有効です。つまり、「犬神憑き」と「キツネ憑き」にとくに違ったところは何もありません。しかも四国では犬頭または狸頭を使うとまで書いてあります。
ここに書かれた「百里国」とは都から百里離れた国ということでしょうが、都に近いところでは「蠱病」は起こらない、都に近づけば治るという俗信もあります。
皇都ヲ去ル事三十里ノ外ナラデハ魅アタワザルナリ。蠱病ノ人愈ラザル時 上京セシムルニ、陸路ハ播州加古川ヲ界テ去リ、海上ハ備前沖犬島辺ニテ必ズ愈ル。(P.
どのようにサソリは呼吸ですか?
224)
「杏林内省録」緒方惟勝著『続日本随筆大成10』(吉川弘文館1980)
都から三十里がその範囲として指定され、このあとに「備前沖犬島」の名はこれに因りつけられたと書かれています。なお、この著者は江戸後期の備前岡山の医師です。
全国に分布する「キツネ憑き」は地方ごとに特有の名前をもっています。
オサキ狐(オーサキ、オンザキ、尾崎狐)、クダ狐(クダショウ)、シソク、オトラ狐、イヅナ(飯綱、エヅナ)、トウビョウ狐(トンベ、トンボ)、人狐(ヒトギツネ)、野孤(ヤコ)、ミサキ、オコン狐、ヤテイ(ヤッテ)、タウメ、惣狐
「日本の憑きもの」石塚尊俊著(未来社1972)
関東のオサキ、中部地方の管狐、東北地方でイズナ、山陰地方で人狐、山口ではミサキなどといろいろですが、当のキツネの働きにそれほどの違いはありません。ただ、ひたすら憑くだけです。
ところで、「狐憑き」というくらいですから憑くのは「キツネ」のはずですが、どうもキツネであるとは言い切れないようです。肝心の当事者である狐使いと憑かれた者たち、その両者が描く「狐」像はキツネの姿とは程遠いずっと小さい獣であり、その形態はイタチと言った方がよさそうです。懐や袖にも入りますし、「狐使い」はマッチ箱から取り出すと言われるほどですから極めて小さなもので、本当の「キツネ」の外観を思い浮かべるのは根本的に間違いのようです。「狐憑き」というのは、「憑く」という症状の総称� �言ってもよいかもしれません。
石塚尊俊氏は「人狐は牝鼬(イタチ)、オサキ狐・クダ狐はオコジョ、イズナはイイズナ(コエゾイタチ)、犬神はサイゴクヂネズミ」と結論付けています。「犬神憑き」と「狐憑き」も、「犬神」と「狐」と名こそ違いますが、どちらも人家近くに住んでいる動物の姿を借り、憑いたことによる症状にそれほど変わりがありませんから、本来まったく同じものです。広島のゲドウ(外道)や飛騨のゴンボも、キツネという名前は付けられていませんが、おなじ症状をもたらすものです。飛騨の「ゴンボ」は漢字にすると「牛蒡(ごぼう)」で、「野菜の牛蒡が憑く」のです。ゴボウの由来はとうぜん密教や修験道の「護法」と思われますが、「五分・ゴンボ」の尻尾の猫の可能性もあり、「午王」かもしれません。
18� �0年刊の『善庵随筆』は、「管狐」は金峯山から授かると書いています。
管狐ハ大サ鼬ホドアリテ目竪ニ付ク、其ノ他ハ野狐ニ同ジ、・・・管孤ヲ駆役スルノ術、竹筒ノ管(竃ニ所用ノ火吹竹ニ比スレバ少シ短ク、前後無節、吹ヌキノタケヅツト云、)ヲ持シテ、咒文ヲ誦スレバ、狐忽チ菅中ニ在テ所問ノコトヲ一一告知ヲス、コレハモト修験ノ道士、勤行精修ノ後ニ、金峰山ヨリシテ授クル所ト云フ、故ニ管孤ノ名アリ、
(P.
472)「善庵随筆」朝川鼎著「日本随筆大成一期10」(吉川弘文館1975) オサキ狐は伏見稲荷から借り、管狐(クダ)は金峯山から授かるとも言いますが、ともに真言密教に関わるところです。そして人に憑いていた狐は「憑きものおとし」のあと元いた所に帰るのですが、それも「稲荷山」などと言うわけで、やはり由来は密教であり修験道です。
「神使の狐」「狐憑き」「憑きもの落とし」「狐使い」は同時に生まれたものではなく、しかも一貫した思想から生まれたものではないようで、修験者などがその時々に利益のため作り出し流行させたものと言えるかもしれません。特に「狐使い」はかなり限られた宗派でしかやっていなかったと思われ、一方、「憑きもの落し」には定められた修法、「九字の修法」「不動金縛法」「摩利支天鞭法」「封じ込めの修法」があり、「呪符」を使う� �法も定められていますから、こちらは広範囲な活動があったと考えられます。
憑きものに関わる者は修験者(山伏)や密教僧だけでなく、そのほかにも民間陰陽師、巫女、僧(特に日蓮宗・中山派)、神官(特に吉田神道)の名をあげることができます。その方法は種々あるようですが、それぞれがそれぞれの手法を真似て、陰陽道の儀式をする山伏、護摩を焚く神官、真言を唱える陰陽師など、なんでもありです。なお吉田神道は、その儀礼を密教・陰陽道(道教)に頼っていて、日蓮宗・中山派はもと山伏だった者たちが日蓮に帰依し中山派を名乗っているわけですから、両者ともに加持祈祷を得意とします。
「宇治拾遺物語」巻四には「狐憑き」の話もあり、憑いた話は古いようです。「あい嚢抄」(1446年)の巻第一には「狐ヲ命婦ト云ハ何事ゾ・・命婦ヲヒメマチキミトヨム・・狐ヲ� �フ社女神ニテマシマセハ・・元来其名アル神ノ使者ナレハ(P.49)」とあり、狐が「神の使者」であったのも確かですが、キツネを使役する「キツネ使い」という形式だけは、それほど古いものではありません。「狐使い」の起源については江戸時代にも話題になっていて、「応永廿七年」の「きつねつかい(仕狐)」記録を見つけた橋本経亮は「意外と古い」と感じたようです。
きつねつかいという者も、むかしよりありしとみへて、外記康富記、応永廿七年九月、室町殿医師高天といふもの、仕狐て禁獄せられしことあり。
(P.
432)「橘窓自語」巻ニ「日本随筆大成4第一期」(吉川弘文館1975) 応永廿七年は1420年のことです。ただし「看聞日記」には、この前年に「祈師付狐」の記録もあります。「狐使い」の由来は、他の動物霊の操作よりも古いかもしれませんが、かといって古代のものではなく鎌倉・室町期が始まりのようです。この動物霊を憑かせたり除霊したりの全盛期は、江戸から明治・大正にかけての医療未開の時代ですが、なかなか根強く根絶とまではいきませんでした。
「犬神使い」の起源は修験道・陰陽道のようですが、さらに遡っていくと中国の道教に出会います。四世紀中、干宝(かんぽう)が著した「捜神記」には「犬蠱」を使う妖術師が登場しています。
趙寿は犬蠱を持っていた。・・・蠱の毒のなかには、妖怪のような化物がいる。その化物は形もさまざまに変化するし、種類も雑多であって、犬や豚になることもあれば、虫や蛇になることもある。蠱を使う妖術師も、それがどのような形をしているかは知らない。ただ、それを人に向って使うと、ねらわれた者は一人残らず死んでしまうのである。
「317・犬蠱」(P.389)
「捜神記」干宝著(平凡社ライブラリー2000) 日本の「賊盗律」のなかにも「蠱毒を造り畜い、使ったものは絞罪」という罰があり、事実、神護景雲三(769)年に県犬養姉女が、称徳天皇の髪の毛を盗みとって髑髏に入れ厭魅したという「巫蠱」の罪で遠流、また宝亀三(772)年にも「巫蠱」の罪により皇后と皇太子が位を廃せられた記録が残っています。
真野時綱(藤浪時縄)も『古今神学類篇』(1699年)の「識神」の項で、犬神の由来を中国に求め、『後漢書』に現れている「六丁」の類だろうと見なしています。
術士六丁ヲ使フトハ六神也。後漢書ニ、従官卞忌自ラ言フ、能ク六丁ヲ使ヒ占夢ヲ善スト。注ニ、六丁ハ六甲ノ中ノ丁神ヲ謂也。(巻之三十八)
(P.289)
「古今神学類篇(中)」真野時綱著『神道大系首編三』(神道大系編纂会1985) 犬神の本場の土佐では、これを朝鮮から入ってきたものかもしれないと考えています。つまり、朝鮮から連れて来た捕虜のあいだからこの流行が始まったのではないかと疑っています。 按するに、昔元親朝臣朝鮮の生捕をあまた此国へ連れ来られしか、若其時より伝へたる事もあらんか。(巻三十七)(P.

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